定泰寺 境内案内図
文化財
■懸仏
この懸仏は、形は円形の銅鏡のごとく、上部に二個の釣手のような耳があったもので(一個欠損)表面中央に肉彫の仏体を浮き出させ、右から下へ廻って左への銘文に見られるように文安六年の室町時代の作品である。
銘文は「武蔵太田庄鷹峰山万善寺右、祈祷志意者為天長地久所願円満殊者信心河崎郷島住人国吉」とあり、中央の仏体の左右に「文安六年三月二十六日」と刻されている。
これと同種のもので、同人の寄進によるものが、鷲宮町鷲宮神社にあり国認定の文化財にあげられている。この懸仏は日本特有の宗教遺物であって、本地垂跡説即ち神仏混合の結果信仰の対象として出来たもので、神社の社殿中にかけられ、また「御正体」とは上の本体という意味でご神体である。
県内には数体しかない貴重なものである。
銘文は「武蔵太田庄鷹峰山万善寺右、祈祷志意者為天長地久所願円満殊者信心河崎郷島住人国吉」とあり、中央の仏体の左右に「文安六年三月二十六日」と刻されている。
これと同種のもので、同人の寄進によるものが、鷲宮町鷲宮神社にあり国認定の文化財にあげられている。この懸仏は日本特有の宗教遺物であって、本地垂跡説即ち神仏混合の結果信仰の対象として出来たもので、神社の社殿中にかけられ、また「御正体」とは上の本体という意味でご神体である。
県内には数体しかない貴重なものである。
加須市大字南大桑 定泰寺
昭和三四年六月 市指定
昭和三四年六月 市指定
■聖観音菩薩坐像
この像は、寄木造りの玉眼入り文沈金泥肉身粉溜のもので、江戸時代初期の作である。美しい透かし彫りの宝冠をいただいている顔は端正、円満、豊麗な表情で肩から斜めに右脇へかけているのが条帛、両手に巻きついているのが環釧、胸に胸綴珱珞をたれている。これも銅板で、玉をつづってさげている。そして、裳をつけて結跏跌座、左手に蓮花を持ち右手はかるく人差し指と親指をつけて前に捧げて行いすましている様は誠に何物にもかえがたい崇高なものである。これまた婦人の知性の高さを表現した美しさといってよい。
光背は飛天光で頭光と下の身光の外廻に船のような形になっている船形光背が見られ、手のこんだもので、その前にありがたいお姿を表現させている。これだけ立派に完全に保存されたものは珍しい。
光背は飛天光で頭光と下の身光の外廻に船のような形になっている船形光背が見られ、手のこんだもので、その前にありがたいお姿を表現させている。これだけ立派に完全に保存されたものは珍しい。
加須市大字南大桑 乗蔵院蔵
昭和三四年六月 市指定
昭和三四年六月 市指定
■青石塔婆
地表上約一・六〇メートル、上部巾約〇・四三メートル、
下部巾約〇・四六メートル
種子、阿弥陀如来
彫刻 種子(弥陀)の上に天葢をいただき下に蓮の実をあしらった蓮台をもつ
年号 建長五年八月二十九日
願文 極重悪人 無地方便 唯称念仏得生極楽
建長五年(西暦一二五三年)は、昭和四十二年から七一七年前で北条時頼執権の鎌倉時代である。
加須市内にある塔婆中最古のもので、県内にも少なく、種子の上に天蓋をいただき、種子は金粉にて書かれていた。他に見られない貴重なものである。
下部巾約〇・四六メートル
種子、阿弥陀如来
彫刻 種子(弥陀)の上に天葢をいただき下に蓮の実をあしらった蓮台をもつ
年号 建長五年八月二十九日
願文 極重悪人 無地方便 唯称念仏得生極楽
建長五年(西暦一二五三年)は、昭和四十二年から七一七年前で北条時頼執権の鎌倉時代である。
加須市内にある塔婆中最古のもので、県内にも少なく、種子の上に天蓋をいただき、種子は金粉にて書かれていた。他に見られない貴重なものである。
加須市大字南大桑 乗蔵院蔵
昭和三四年六月 市指定
昭和三四年六月 市指定